
みなさんこんにちは、嶽(タケ)です。
現代では当たり前になっている「1時間=60分」(定時法)という考え方は・・・
実は、フランソワ・ペルゴが来日した1860年代での日本では当たり前ではありませんでした。
むしろ、不定時法という日本独自の時計制度があったんです。
まだ、日本に“侍”がいた時代。
当時の日本は時計文化も違えば時計の読み方も違う中で、フランソワ・ペルゴは日本で西洋の時計を広めていきます。
ただし、すぐに広まったわけではありません・・・。
それでは行きましょう!
フランソワ・ペルゴとは?

フランソワ・ペルゴとは、ジラール・ペルゴ創業家の一員であり、日本におけるスイス時計普及の先駆者として知られています。
フランソワ・ペルゴが初めて日本の地を踏んだ1860年12月。
まだ、西洋式時計(=定時法)が十分に浸透していなかった日本で、スイス時計を広めた立役者でもあります。
当時の日本は、昼の長さによって時刻を変える不定時法(=和時計)という独自の時の概念がありました。
フランソワ・ペルゴは、“スイス時計を広めた人”だけで終われるほどの美談ではありません。
なぜならば、日本では時の概念が不定時法という独自のものだったため、西洋式時計(=定時法)を読める人は役人数人と限られた人だけだったそうです。
日本では鉄道の開業をはじめとした文明開化に伴い、明治6年(1873年1月)日本は定時法(グレゴリオ暦)を導入します。
これにより、ジラール・ペルゴの時計も順調に輸入が進んでいきます。
どこよりも早く、時の概念が違う土地でスイス時計を広めていったフランソワ・ペルゴはすごいですよね!
定時法とは?(現代)

“定時法”とは、私たちが現在使っている1時間=60分で一定の時間の数え方です。
1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒
これは、季節や昼夜問わず一定の数え方をし国際的に統一されている”時”の概念です。
現在、全ての時計(腕時計、スマホ、電波時計)は、この方式がとられています。
日本が“定時法”を採用したのは、明治6年(1873年1月)のことです。
太陽暦(グレゴリオ暦)へ切り替わるタイミングで、時の概念も世界標準である定時法に合わせることになりました。
これにより、不定時法の時計(和時計)は役目を終え、西洋時計(=定時法)が広く使われるようになっていきます。
日本独自の時間制度だった不定時法とは?(江戸時代)
季節で「時間の長さ」が変わる日本独自の時の概念を不定時法と言います。
西洋時計があるように、日本には和時計という日本独自の読み取り方をする時計もありました。
江戸時代の日本では、”昼(明るい時間帯)を6つ、夜(暗い時間帯)を6つに等分する”という読み取り方をしていました。
つまり、
・昼の長さが季節で変われば→1時間の長さが変わる。
・夜の長さが変われば→夜の1時間の長さも変わる。
という仕組みでした。
季節によって「時間そのもの」が伸び縮みするのが、“不定時法”の大きな特徴です。
当時の人々は太陽の動きと共に暮らしていたため、この柔軟な時間制度は生活に非常に合っていたそうです。
日本独自の時間帯があったなんて面白いですよね!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
私は“不定時法”を調べるまで、日本独自の時間制度があったなんて知りませんでした。
だから、時の概念から時計の仕組みも違う、言葉も限られた人しか通じない異国の地、日本でスイス時計を広めていったフランソワ・ペルゴは本当にすごいと思いました!
私たちが普段、腕に着けている時計がもしフランソワ・ペルゴが日本に来ていなかったとしたら、存在していなかったかもしれません。
そう考えると、フランソワ・ペルゴの功績はすごいですね!
こういった歴史のあるジラール・ペルゴを少しでも興味を持っていただければ幸いです。
ぜひ、ジラール・ペルゴ ブティック 大阪でスタッフ一同、楽しみにお待ちしております。
投稿者:嶽
