
こんにちは、伊藤です。
本日ご紹介のモデルは、ジラール・ぺルゴの最高傑作「ラ エスメラルダ トゥールビヨン」です。
さっそく実機レビュースタートです。

また、ロレアートは42mm、38mm、クロノグラフ(ずれもステンレススティール素材)モデルの試着専用の時計をご用意しております。
下記のブログにてご紹介しております、こちらもあわせてご覧くださいませ。
スリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンを作ったコンスタン・ジラールとは?


コンスタン・ジラールは、3世代に渡って振子時計の装飾を専門とした裕福なブルジョワの家庭であるオトナン=ジラール家に生まれました。
両親は息子の才能を見抜き、彼をラ・サーニュの時計師のもとに弟子入りさせます。
1845年、彼は時計師のC.ロベールと提携し、(おそらく)1850年まで彼と一緒に働きました。
時計師としての特別な才能に加え、激しさと情熱に満ちた彼の気質が、この若年時代に明らかとなりました。
1846年、彼は数人の友人らとともに、ラ・ショー・ド・フォンに体操の会社を作ります。
2年後、自由主義政党の一員であったコンスタン・ジラールは、ヌーシャテルに出現したプロシアの君主制に反対するラ・ショー・ド・フォンの民主主義者の一人として、街の城を占領し、共和制とスイス連邦への加盟を主張します。
彼は長年、街の運営に携わり1872年から75年にかけてはラ・ショー・ド・フォンの県会議員を務め、また、多くの経済、社会団体のメンバーでもありました。
1852年、彼は兄弟のニュマと共に、時計を製造するジラール社をラ・ショー・ド・フォンに設立しました。
その2年後、コンスタンはマリー・ぺルゴと結婚します。
彼女の父と兄弟は有名なクロノメーター製作者でした。
コンスタンは妻の姓を自分の姓と結び付け、ジラール社はそれ以降、最終的な名称である「ジラール・ぺルゴ」を名乗ることとなりました。
コンスタン・ジラールが追及したもの



コンスタン・ジラールは先見の明を備えた人物でした。
特に脱進機(トゥールビヨン脱進機)の研究により、高品質で美しい彼の作品は、スイス国内や世界的なコンクール、さらには万国博覧会で数多くの賞や栄誉を獲得します。
1867年、ムーブメントの構造を再考しブリッジを矢形の並列に配置することで、初めてスリーブリッジトゥールビヨンが誕生します。
この懐中時計はパリ万国博覧会で賞を授与されました。
1889年には、パリ万国博覧会でスリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンが金賞を受賞することとなります。
以後このトゥールビヨンはジラール・ぺルゴの象徴となり100年以上経った今もなお腕時計として作り続けられています。
手作業で磨かれる”ブリッジ”は、テグサイトという石が先端についた棒などいろいろな素材の道具を使用して磨かれていきます
撮影していると、反射が美しく光を当てると磨かれた部分が美しく反射します。
何度もシャッターを押したくなります。
※マクロレンズで撮影しているので、タブレットやスマートフォンでご覧いただいている方はぜひ、写真を拡大してみてください。
モデル詳細
ブランド:ジラール・ぺルゴ
モデル名:ラ エスメラルダ トゥールビヨン
品番:99275-52-000-BA6E
素材:ピンクゴールド
直径:44㎜
厚さ:14.55㎜
ケースバック:無反射加工サファイアクリスタル
ダイヤル:シンメトリーデザイン
防水性:30m
価格:32,714,000円(税込)
皆様にお会いできる日を楽しみにしております。
投稿:伊藤